逃がさない。
先輩と接していると、僕はいつもそんなことばかりを考える。
少しは他の奴らより気に入られてると自惚れていた。
近づきすぎると、さり気なくかわされる。焦らされて焦れてどうしようもなくなった心と体をぶつければ、怯んだのとは違う静けさで、微動だにせず僕を受け入れる。
欲しい。
目で訴えて、拘束している先輩の手首にぎりり、と力が入りすぎていても、彼は何も言わない。
アンダーをまくりあげ、その引き締まった腹から徐々に性の茂みの方へ手の平を滑らせていく。綺麗な丸みを帯びた頭を抱き、指に絡みつく銀髪を撫でながら唇を深く貪っても。
彼は無言で、何を考えているのか、少し悲しげにも苦しげにも見える表情で閉じることのない目を細めた。
僕の胸の上に抵抗の形で置かれた手にも、力が入ることはない。
任務で迷いなど見せたことのない人が、僕の求めには動作を停滞させ、どうするべきか戸惑っているようにさえ見える。逃がしたくない。
僕はその戸惑いをねじ伏せ、拒否されないことに安堵しながら、許されるだけ彼の体の奥深くを探る。
息を呑む音がこの上艶かしくて、僕の興奮に拍車をかける。
言葉など求めなければ。
この前と同じように、このまま性急に体だけを繋げるのならば。
この人はきっと僕を拒まない。
でも。
「どうして僕と寝るんですか」
曖昧な態度で逃げても、それは受け入れていることと同じなんだと。
引き出したい。
言葉を。
楔を打ちたい。
その心に。
刻みたい。
僕を。
額に額をあててじっと瞳を合わせ見れば、彼は言葉を飲み込んだ。
僕は先輩に惜しまれた言葉を束の間哀れみ、そしてすぐに怒りに近い激情を抱いた。
「逃げるんですか」
きつい視線がお互いに絡んだ。
「誰が逃げてるよ」
彼の怒りを孕んだ瞳が、僕の前でしか見せないこの人らしさを引き出せたようで、心の奥底からぞくりと悦びに震える。
けれど、いつだって僕より年上ぶりたい先輩は、精神の脆弱さや幼さを晒すことを好まない。まるで挑発に挑発で返したような余裕ない己の言葉を恥じたのか、先輩は少し口調を和らげ、同じ趣旨の言葉を繰り返した。
「何で俺が逃げるのよ」
今更のんびりと返したって、無駄だ。騙されるものか。
僕は鼻で笑った。先輩の眉間に皺が寄る。
「逃げてるじゃないですか」
ぴり、とさらに場の空気が緊迫したところで、突然ゴッと額が痛んだ。頭突きだ。もともと額を突き合わせていたから大したダメージはないとはいえ、至近距離から攻撃され、睨まれ、僕は死ぬほど驚いた。
「お前、生意気」
今だ怒りの収まらない様子の先輩は、きつい眼差しで僕の胸倉をつかみながら、「ヤるの。ヤらないの」と下品な言葉と低い声で恫喝してきた。
先輩の予想外の言動に動揺しているのを悟られたくなくて、僕も険のある声で返す。
「ヤるに決まってるじゃないですか」
「なら早くしろ」
不機嫌そうに言われ、余計に腹が立って、乱暴に彼のアンダーを捲り上げた。痛かったのか、先輩も一瞬「こいつ!」という目で僕を見たが、何も言わなかった。
そもそも、何で僕たち喧嘩しながら体を重ねようとしてるんだろう。
つかみどころのない先輩の何かを引き出したくて言葉を求めたのに、少し踏み込んだことを言ったらこれだ。
どうでもいい相手に惰性で抱かれてるなんて思われたくない。
くちづけ、深く貪りながら、僕は祈った。
先輩の怒りで燃え上がるように輝く瞳に、僕の姿が焼きつけばいいのに、と。
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書きかけ放置していたのを救済。
大人気ないふたり(少年テンカカ)。
デレないのを心がけたのに、うちの先輩は・・・。何か頭突きは書いてる方も予想外。
「これ預かってて。テンゾウ。何日かでいいから」
僕は『二人っきりの時でも戸外ではヤマトと呼んでください』と抗議するのも忘れ、何故だか存在感の薄くなっている先輩の様子をまじまじと見つめた。
手に渡されたのは、ずっしりと重い特別製のクナイ。
一昨年渡されたものも、きっとこれと同じものだったけれど、こんなに重かっただろうか。
内心首を傾げながら、口布と額宛で表情を隠してるつもりの先輩の顔を見るのをやめ、クナイに目を落とした。
四つ又に分かれている刃先で抉られたらとても痛そうだ。そして頑丈そうな柄には何かの術式が書かれている。一文字だけ瞬身を補助する類の術式らしきものが解読できたが、他はあまり見ない文字ばかりだ。
過去には『しばらくでいいから』と小さな箱を渡されたこともあったが、それにもこのクナイが入っていたのだろうか。
「じゃあ」
用事が済んだらあっさりと去っていくカカシ先輩の後姿を見送って、誘いの言葉を飲み込んだ。
あの人は誕生日に誰とも過ごしたがらない。
慰霊碑にたたずむ先輩を迎えに、いや、過去から取り戻しに行った日もあったけれど。
年を経た今となっては、それも思い出すと遠い記憶だ。
そう、記憶といえば。
カカシ先輩の誕生日に、一度だけ、過去から僕を訪ねてきた先輩を見つけて捕まえたことがある。いや、当時のカカシ先輩より3歳ほど年少だったと本当の意味で気がついたのは、彼が去ってしまってから考えて、彼の言動を分析してからのことだったけど。
隠れていたのを気取られたことに相当自尊心を傷つけられたのか、不機嫌極まりなかった彼は、僕に年齢を聞いた。
正直に答えたせいで「ふん。随分老けてるからてっきり二十歳超えてるのかと思った」と毒舌を吐かれたのには閉口し、どこか子供っぽく生意気に見えた彼に『恐怖で支配』を発動させたくなったぐらいだった。そんな彼は僕に日常会話を装い、二、三の質問をしただけですぐに消えた。
その次の日に確か先輩を問い詰めたんだけど、当然しらを切り通され。
今の今まで、その過去の出来事と預かったクナイの相関性などに気づくことはなかったんだけれど。
預かったクナイを片手に家の玄関の鍵を開けようとしていたら、背後から手が伸びてきてヘッドギアを取られた。
「カカシ先輩!」
いたずらが成功したのに眉間に皺を寄せている先輩は、じっと僕の顔を見ながら確かめるように名前を呼んだ。
「テンゾウ?」
「今はヤマトですってば!って、何度言わせる気ですか」
今ので確実に寿命が縮まりましたよ、と文句を言いながら鍵を開けて、先輩を部屋に通そうとする。
「? 上がって行かないんですか?」
「あ、いや…うん。そうだな…」
煮え切らない返事を寄越しながらも僕に促されて動いた先輩に、あれ誕生日の法則は?と思ったものの、雷影と接触した後のあの雪景色の中で先輩と別れて以来、久しぶりにふたりきりの空間が持てたことが素直に嬉しかった。
「お茶淹れますね」
いそいそと台所に立った僕は、カカシ先輩がさり気なく僕の部屋の様子を見回してることに気がつかなかった。
「それにしても、大事にされているあのクナイを預かってくれってことは、里外任務でも入りましたか」
「…ま、そんなとこだ」
「あ、そういえば僕も…。忍連合軍の再開された五影会議で、ナルトを雲隠れの楽園の孤島に隠すことに決まったんですが…って、まぁ、体のいい監禁なんですけどね。僕もお目付け役として同行することになりまして」
苦笑しながら告げたのに、先輩の反応がなかった。
いつもなら五影会議や弟子のナルトについての話に流れるはずが、あれほど任務話の時には鋭い人が今日は考え込むように黙っている。
「先輩?」
さすがに違和感を感じざるを得なかった。
クナイ。そういえば先ほど棚の上に置いた時、クナイはまた少し重くなってはいなかったか。では…。
注意深く様子を探っても、カカシ本人の姿に特別おかしなところはない。
今朝別れたばかりの先輩だ。だって、今日はいつもより多めに垂れてるなと思った額宛の上の前髪が、さっきと、同じ。
「気をつけろよ。テンゾウ」
硬い声で忠告され、思わず笑ってしまった。
「大丈夫ですよ。あの時みたいにナルトを逃がすようなヘマ、もうしませんよ」
「そうじゃなくて」
先輩の声がやっぱり低い。
「お前が、気をつけて」
僕はいつになく真剣なカカシ先輩の瞳に圧倒されながら、「はい」と返事をしていた。
真剣すぎる先輩を前に、何故か視線を反らすことができなかった。
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うあああなんとかハピバーー!
あなたがいなかったら私二次創作もサイトも何も始めてなかったです。
もうすごい記念日なのに、私ってやつは!
そこはかとなく去年のテン・カカ誕『絶望の中で僕は生まれた』等と連動(?)。
感情というものは実に経験と記憶に忠実で、持たざる者にとってのそれは、きっとあまり豊かには作用しない。
僕にとって薄情な出来事はそれのみに限らなかったけど、今日が誕生日だという感慨はさほどない。一年の中のただの一日という日が常と変わらなく終わったのに、常と違う特殊なことを許容されているのだと思うと、何故か不思議な感じだ。
三代目に報告を済ませ、淡々と帰途につく。その途中、暗部専用の簡易シャワー室へと続く通路が視界の端に入った。
己の視線の動きに何かを思い出しかけて、断念する。そう、理由はあったが、きっと取るに足りないことだ。彼の『気まぐれ』に意味を持たそうなんて。
「テンゾウ」
その時。
まさに目が探していた人物から声をかけられ、僕はそんな心の動きを見透かされたかのようにギクリとした。
「カカシ先輩」
何の気配もなかったのに、背後にその彼が立っていた。
この暑い中、彼は、珍しく木の葉の正規服を着ていた。秀麗な顔は斜めにかけられた額宛と口布に隠され、露出の多い暗部隊服を着用している時に比べると印象がやや男らしい。
俊敏そうな手足も長袖の下に隠されて、唯一手甲との隙間から覗く手首が妙に目につく。
任務ですか。そう口を開く前に、彼はおもむろに一枚の書類を軽く僕にかざして見せた。
そこに貼り付けられた僕の顔写真と、朱色で押された『極秘』の文字印に視線が引き付けられる。
果たして、動揺を隠しきれたかどうかわからない。恐らく予想通りに言葉を失った僕の反応に気をよくしてか、カカシ先輩が唯一晒している右目をきゅうと弛ませて笑う。
「どういうことですか」
口布の下の唇も、何故か笑いを刻んでいる気がした。
「一体どうやって、それを……」
「どうやって、じゃなくてさ。どうして、ってところが重要なんじゃないの?」
この人は饒舌な方ではない。数少ない接触でそうと知っていたが、このすっとぼけ方はまた酷い。
――い、った、テンゾウ……。
眉を顰めながら、つい先日の、笑いを含んだあの声を思い出す。
――お前、もしかして痛くするのが趣味なの
ははっ、と、掠れた笑い声を立てて、息を飲み込みながら言ったあの時の表情を。あなたこそ、男は初めてなんじゃないですか。と、優しさからなんかではなく、油断ならないひとりの男を突き詰めたい僕を見透かし抑えこんで、決して優位な立場は崩さなかった彼を。
甘い言葉なんか囁かないくせに、僕の秘密に土足で踏み込んできたあなたという存在が今日という日を特殊なものにしていた。
自分のことなのに知らない、そして知りたい事柄は確かにあった。なのに、むしろその紙切れよりも先輩の笑う瞳から、今、視線が外せない。
ふいに、幾重もの封印で守られていたはずの僕の身上記録が、炎になめられ灰に変わった。
炎は先輩の指を痛めることなく、食らうべきものをすべて包み込んだらじじじと空気に溶けて消え。
それでもまだ、僕たちは動かず見詰め合っていた。
その優秀な頭脳には、僕に関する、僕の知らない情報が入っている。
去っていくカカシ先輩をそのまま見送って、僕は予感した。
彼を今後、穏やかな気持ちでは見られないことを。