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忍禁書外伝的日々妄想

基本ヤマカカで暴走モード。完全腐女子向け。
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51巻感想

今更ですが、書きたい気持ちになったのでメモ的に少し(昔のように暑苦しく)。
他所のサイトさんでもアレは絶対つっこんでたはず!



例のカカショック以来原作から気持ちが離れてしまい、WJを追うのからも脱落して二次創作者としてこれでいいのかとちょっと途方に暮れていたのですが、五影会談から持ち直しました。
それぞれ里長を護るために護衛が緊迫しているあの見開きの絵が素敵で…。
雷影との問答はテンカカ揃ってたので何故か同人誌のようだと一瞬錯覚してしまったのですが(病気)、すごく好きなシーンです。

そして51巻ですが、テンカカ的に挙げると
1.ヤマトが思ったより老けている(同人サイト比)
2.「よいしょ…」じゃない、先輩!大きい順に並べるな…!結局は地べたに放置なのにいいことしてやった的な満足そうな顔は何だ天然ボ…(ぐはっ、好、き…!)
3.先輩から信頼されてるはずなのに、逃がすなーーばかああああ(でも、好 き…)。

個人的にサイにキュンキュンきてしまってやばいです…。
以前に某様の茶室にお邪魔した時に皆さんがダンゾウのことを「志村志村」と言っていたんですが、その謎がようやく解けました…(ホント今更)。
テンカカの例のシーンを連想させる、微笑ましいトルネとフーの内緒話。
トルネがやっぱり隊長と似ている件。
初代様の細胞はやはり制御にかなりの精神力・体力を要する事実(テンカカ的に妄想膨らむ)。

取って置きの写輪眼を使い潰してまでサスケを抹殺しようとするダンゾウの姿勢に私利私欲は見えず、木ノ葉と忍びの世のためにサスケとまだらを排除しなければならないという考えには大いに共感できる部分があります。
しかしうちはって、悪意で表現すると歴史的に「血は争えない」と言われるような人物をコンスタントに排出してるなぁと。
サスケについては、私はずっと人物像的にすごく面白いと思ってきましたし、今までは巷や作中で言われるほど間違っているとも、堕ちたとも思ってはいませんでした。
危険思想かもしれませんが、過去(あるいは他国・他地方・他民族)の犠牲の上に成り立っている今の安定したシステムは絶対的に無傷であることが正義だとも思いませんし、(特に的確にその人物だけを刺すというのなら)復讐が必ずしも無意味で悪だとも思わないです。
人が復讐を思い止まるには奇麗事だけではすまない理由があって、人生の貴重な時間を浪費すること、評判が落ちること、負の感情に振り回されて自分が醜くなるのを恐れたり、何らかの不利益を被ることを恐れて等の利己的な面もあるかと思っているので。
サスケの場合、イタチに対する憎しみのエネルギーが真逆の事実によって空振りに終わり、行き場のない怒りを破壊・殺戮に転換させている面はあるにせよ、ある意味自己を犠牲にしてそれこそ全人生かけて突き進む一途さは痛々しくも純粋に見えます。
ただし、手段を選ばないあまりに無関係な人の命を奪うことも辞さなかったり、仮とはいえ仲間を平気で捨て駒にすることに関しては確かに「堕ちた」と思いました(以前からその兆候はあったとはいえ今回のは直接的かつ決定的だった)。
「兄さん、まずは一人目だ」
とサスケがダンゾウに言った時、堕ちる第一歩の人数の「一人目(カリン)」かと思いました。
多分かけてあるんだろうけど、あの言葉選びには震えが来る。
現実の世界でも戦争の加害者と被害者の子孫同士、国や立場の違う者同士が顔の見えないネットなんかで優位性を誇示し合ったり非建設的な罵り合いをしてますが、復讐と負の連鎖にこの作者はどう決着をつけるのか非常に興味深いです。
(イタチに迫る勢いのナルトの『無償の愛』もとい『無償の友情』がキーになるんでないかと、一度もこの漫画の予想が当たったことのない私がひらめいてみた。「(どんだけ裏切られたって)俺はお前をあきらめねえ!」)

そしてこの巻の最後、続きが物凄く気になる。
ジャンルごとCPごとに諸事情あると思うので必ずしも理想どおりにはいかないとは思うのですが、やっぱり二次創作は原作あってこそ。
テンカカが大好きなので、まだ原作を純粋に楽しみに出来ることがわかってよかった、とちょっと思いました。

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